2023 年 11 月 4 日
奈良県誕生トークイベント
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11月4日に安堵町文化祭に参加してきました。
文化祭では、安堵町歴史民俗資料館会館30年を記念し、奈良県誕生記念トークイベント「今村勤三と奈良県の発展」が講演されました。
ゲストスピーカーとして大和郡山市から上田市長が登壇されました。
11月4日は1887年に奈良県が再設置された日です。
実は、奈良県は約150年前、堺県の一部でした。
安堵町で生まれた今村勤三は若くして、その才能を見込まれ、堺県で県議会議員として活躍し、堺県が大阪府に吸収された後にも、府議会議員として活躍しておりました。
その傍ら、故郷である大和地域を分断独立しなければ、郷土の発展は見込めないと考えるようになりました。
それは、他の大和地域出身の議員も同様でしたので、私財を投げ打って内務省に請願書を提出しましたが、その時点ではかなわなかったようです。
その後も、請願を内務省から太政官へと切り替えましたが、こちらの活動も失敗に終わりました。
そして、大和地域では再設置後の県庁所在地をめぐる対立なども重なり、再設置運動が頓挫しました。
しかし、明治18年に近畿地方の大洪水をきっかけに運動が再加熱します。
明治18年5月末から7月にかけて降り続いた雨や台風が重なり、近畿地方は大洪水に見舞われました。
大和地域でも佐保川や曽我川が決壊し床上浸水が相次ぎ、数十カ所で土砂崩れも発生。
当時の大阪府内での被害は、住宅全壊・半壊17,122棟、床上・床下浸水約71,000棟に上る大災害でした。
膨大な災害復旧費の大半は摂津、河内、和泉地域(以下、摂河泉地域とする。)に充てられ、大和地域は放置されました。
普段から大和地域は重い税負担に比して、道路の整備や改修がほとんど進まず、不満がたまっておりました。
これを機に、勤三らは下火になっていた奈良県再設置運動を再開しましたが、盛り上がりを欠き、政府を動かすことがまたもやできませんでした。
同20年、明治政府は同23年の国会開設に備えて、全国的に土地測量を行い、地価を修正しました。
この修正で、大阪府においては摂河泉地域が100円につき5円の割合で下げる一方で、大和地域は現状維持とするものでありました。
地価が下がれば地租は少なくなり、大和地域にとっては見過ごせない深刻な事態となりました。
2年前の大洪水のこともあり、勤三らは再び立ち上がりました。
同年9月末に「分置県と地価修正願い」をもって上京し、奈良県再設置と地価修正を嘆願しました。
地価修正は見送られたものの、同年11月4日、奈良県再設置に関する勅令が出されました。
県庁は奈良町の興福寺境内、旧寧楽楽書院に置かれ、初代知事は元堺県令で元老院議官の税所篤が任命されました。
そして、12月には県議会議員選挙も行われました。
勤三は平群郡から立候補し当選。翌年の第一回県議会で、再設置運動の功績により初代県議会議長に選出されました。
その後、第一回衆議院議員選挙に出馬し、国会議員を2期務めました。
その他、奈良鉄道の社長として、現在のJR奈良線、桜井線の鉄道開通にも尽力されるなど、功績はたくさんあります。
関西広域連合などの広域行政は重要です。
しかし、その中で奈良県が埋もれてしまわないか。そのリスク管理をしっかりとしなければなりません。
12月議会では、関西広域連合に加入するために予算議決も行われます。
現在、様々な観点から、加入すべきかしないべきか、資料を読み勉強しています。
今村勤三のように、同じ生駒郡の県議会議員として、『本当に奈良県のためになることは何なのか』を引き続き、突き詰めて考えていきたいと思います。